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日蝕の日

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シルマラ最後の抵抗

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日蝕の日

シルマラ最後の抵抗

第一部 黒き太陽の昇る時

学舎の鐘が鳴り響かなくなってから、幾年が過ぎた。

かつてその音は、未来のコル・シンゾウたちに時を告げるものだった。だが今や鐘は瓦礫と化し、スカイファング神殿と同じく深い亀裂を抱え、守るべき谷もまた崩れ去っていた。

ユーレイは村の広場にひとり立っていた。祠や屋台、家々の残骸は道に崩れ落ち、そこには悪魔の屍と倒れたシルマラ人が散乱している。血と炎に焼かれた死骸は赤黒く染まり、腐臭を放っていた。幼い頃は妹と井戸のまわりで花びらを追いかけて笑い合った。だが今、空気を満たすのは煙と熱気だけで、降り注ぐのは灰だった。

空を仰ぐと、天が引き裂かれていく。まるで天そのものが、迫り来るものから逃れようと後ずさるかのように。ユーレイは気を引き締め、防御の構えを取った。疲弊してなお、その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。

やがて雲は病のように黒く染まり、太陽は自らを崩壊させ、渦巻く虚無に呑まれていった。

その中心に、恐るべき影が姿を結ぶ。

アケロン。アシュカラスの魔王。古の神話にのみ語られ、数千年前にシルマラの守護神によって封じられたはずの怪物。

黒き太陽の下に再誕の神のごとく現れ、闇の炎に縁取られたその輪郭は不気味に揺らめく。骨と筋肉の蜘蛛のような四肢。裂けた胸の奥には、鋭い骨の牙を並べた大口。そのさらに奥に、瞬きひとつせぬ古代の眼が光っていた。

彼の足元には火と硫黄の橋が伸び、天空の裂け目からユーレイの前へと降り立つ。まるで断頭台の上から死刑を宣告するかのように、アケロンは彼女を見下ろした。

そして口を開く。

「我は、お前たちが罪と共に葬り去った飢え。」

「お前たちの祖先が恐れた嵐。」

「征服するために来たのではない。」

「喰らい尽くすために来たのだ。」

その声は谷に響き渡るのではなく、存在するすべての者の内奥に響き渡った。皮膚の下を震わせ、骨と歯を揺さぶるような低音。まだ息ある者たちは膝をつき、頭を抱え、沈黙を祈った。

だが代わりに、絶叫が始まった。

アケロンが拳を掲げると、裂け目から軍勢が溢れ出した。ブラッドローズ、ブルードロード、アンメーカー。腐敗した傷口から膿があふれるかのように、紅蓮の炎と崩れ落ちる肉塊が谷を覆い尽くす。

そして廃墟の門の前に立つユーレイ。

ただ一人、揺るがず。魂を鍛えた剣を両手に握りしめ、怪物を見据えながら小さく祈りを口にした。

救済を求めてではなく、力を求めて。

六つの鼓動の後、彼女は駆け出した。

生涯を懸けた修練が一瞬に結実し、彼女は敵の群れを切り裂く。振るうたびに首が飛び、牙や爪、骨が地に散る。

燃え尽きそうな肺を押さえ込み、彼女は力を温存しながら戦い続けた。

やがて訪れる、わずかな隙を見逃さぬために。

そしてついに、その瞬間が訪れる。敵の海に生まれたわずかな隙。熟練の戦士にしか見えぬ一瞬の綻び。ユーレイは瓦礫を蹴り、魔王めがけて跳躍した。刃が闇を裂き、胸の鼓動が耳を打つ。

だが違和感が胸を締めつけた。これはあまりに容易すぎる。

次の瞬間、魔王は信じられぬ速さで身をかわし、その背後から新たな影が現れた。

レナ。

アケロンの影から抜け出すように、彼女は姿を現した。

ユーレイの瞳に涙が滲む。かつての妹。しかし目の前に立つのはもう違う存在だった。

口元に浮かぶ歪んだ笑み。紫だった瞳は深紅に燃え、裂け目の魔力が彼女の周囲に渦巻く。

ユーレイは刃を止め、声を震わせた。

「レナ……」

レナはさらに笑みを深め、ねじれた杖を掲げる。甲高い笑いと共に放たれた魔力がユーレイを地に叩き落とした。

転がりながら衝撃を受け流すも、立ち直る間もなく妹は再び襲いかかってきた。

第二部 薔薇の影

裂け目の力がレナの全身を満たし、筋肉の一つひとつが研ぎ澄まされた感覚に震えていた。

彼女は廃墟と化した広場に降り立つ。足音ひとつ立てず、まるで重力すら拒むかのような優雅さで。周囲の世界は炎に包まれていたが、それはユーレイが抗うべき無秩序の炎ではなく、確かな目的を帯びた炎だった。

かつて彼女を笑い、追放した者たち。

もし今の姿を見せられたなら。黒き太陽のもとで完全となった自分を。

広場の向こう、ユーレイが立ち上がる。刃を命綱のように握り締め、灰にまみれた顔に決意を刻んでいた。

「レナ…」

その声にレナの動きが止まった。名を呼ばれるだけで胸の奥を突き刺される。だが彼女はもう姉の承認を必要としない。言葉など無意味だった。

ためらうことなく魔力を解き放つ。石畳が砕け、ユーレイは炎の中へと吹き飛ばされた。レナは冷笑を浮かべ、追撃に移る。

炎の中からユーレイが躍り出る。刃が魔力と衝突し、火花と衝撃波が村を揺らす。剣技と魔術が交差するたび、瓦礫が崩れ、空気が震えた。

レナの魔力は幻影を呼び出し、呻き声を上げる顔がユーレイを追う。だがユーレイは刃で一つひとつを正確に斬り払う。姉は巧みだったが、あまりにも読みやすい。

建物を一列、まとめて崩す。瓦礫に飲まれたユーレイが地へと落ちる。そこへ群がる幻影たち。肉を裂かれたユーレイが悲鳴を上げるも、瞬時に渦のように斬撃を繰り出し、すべてを吹き飛ばして立ち上がった。

「訓練用の剣でも振っているつもり?」レナは嘲る。「私を侮らないで、姉さん」

「こんな戦い、望んでない!」ユーレイは叫ぶ。「私はずっと望んでなんかいなかった!」

その刃はレナの肩をかすめ、黒い血を滴らせる。

「皆が望んだことよ!」レナは叫び返す。崩れた学舎の残骸を指さし、かつて二人が共に学んだ場所を示す。

「私はこの牢獄で何年も囚われた。笑われ、殴られ、弱者と罵られた。あんたが称賛を浴びる傍らで!」

「私は…助けたかった」ユーレイの声は懇願に近かった。

「愚か者!」レナは吐き捨てる。姉には決して理解できない。自分を押し潰そうとした者たちに仕え続けた彼女には。

激情が怒りに変わり、レナは咆哮する。裂け目の魔力が炸裂し、二人は瓦礫の壁に叩きつけられる。埃が空を覆い、全てが止まったかのように静まり返った。

瓦礫の中でレナは笑った。歓喜を抑えきれなかった。

「いつだってあんたは強かった。愛され、選ばれてきた」

血に濡れた額を拭いながら立ち上がる。

「私は影。過ち。でも見て、姉さん。光なき闇で、私はこれほどの存在になった!」

ユーレイは答えなかった。だが塵の向こうで剣を掲げる姿があった。疲弊し、痛みに苛まれてなお。最後のコル・シンゾウは刃を下ろさなかった。

レナは叫び、突進する。魔力と剣が激突し、村はさらに崩れ落ちていく。怒りと決意が火花を散らす。

ついにユーレイが跳ぶ。嵐のような斬撃が風を巻き込み、レナを中心へ引き寄せる。レナは杖を掲げるが遅すぎた。

刃が彼女の胴を裂き、全身を苛む痛みが奔る。膝をつき、息を詰まらせるレナ。

「レナ…」ユーレイは立ち、刃を妹の胸先に突きつける。震える両手。二人の間に幼き日の記憶が溢れた。井戸のほとりでの笑い。雪の中での修練。夜に語った夢。

結末は見えていた。どれほど力を得ても、姉には勝てない。完璧な薔薇の影で育った歪んだ蔓は、ここで刈り取られる。

レナは笑みを浮かべ、涙を流しながら目を閉じた。刃を受け入れるために。

第三部 魔王の饗宴

黒き太陽の下で、村は最後の悲鳴を上げていた。

裂けた岩の高みから、アケロンがそれを眺めていた。顎は邪悪な笑みを浮かべ、胸下の大口が鼓動を打ち、内なる古代の眼が歓喜に燃えている。

周囲では守り手たちが逃げ惑い、あるいは血を流して倒れていた。燃え残る死骸、崩れた家屋。希望はやはり脆い。

だが彼を満たすのは灰でも炎でも肉でもない。
それは感情だった。後悔、裏切られた愛、壊れゆく絆。長き時をかけて醸し出された苦痛の交響曲。その最終章。

彼はそれを味わった。

眼下で姉妹が刃を交える。個を超え、神話に近い戦い。魔力と剣が交わるたび、罵倒が刃のように突き刺さる。

すべては彼の意志。ユーレイの心に芽生えた迷いも、レナの声に宿る震えも。二人は戦士ではない。彼の奏でる楽器だった。

そして音色は甘美だった。

アケロンは手を伸ばし、裂け目が応える。大地が揺れ、結末が近づく。

ユーレイの慈悲。彼女の最後の過ち。

音もなく放たれた糸がユーレイを貫き、彼女は肉の操り人形のように吊り上げられる。絶叫が谷を満たす。

レナが我に返る。

アケロンは火の橋を降り、二人に近づいた。低く甘美な声がレナの心に絡みつく。
「お前は力を求めた。見られることを求めた。私は与えた。ならば…終わらせろ」

涙に濡れたレナの手が震える。ユーレイは無防備に吊られている。

レナには姉を殺せない。だからこそ、その瞬間が美しい。

裂け目が咆哮し、本能が選択を奪った。魔力が燃え、悲鳴の顔を伴った炎がユーレイの胸を貫く。

村は割れ、ユーレイは瓦礫に叩きつけられた。刃は砕け、血と共にコル・シンゾウの最後の灯が潰える。

静寂が落ちる。

レナは自分の手を見つめる。杖を、瓦礫を。震えが止まらない。

アケロンが傍らに立ち、その影が彼女を覆う。
「見よ、薔薇はついに枯れた」

彼は黒い爪を差し出す。レナはそれを取らなかったが、必要もなかった。影と共に歩み出したからだ。

背後でユーレイはまだ動かない。だがアケロンには分かっていた。彼女は立ち上がるだろう。最後の炎を宿して。

それが実に甘美だった。

炎の橋を渡りながら、アケロンは村を振り返る。咆哮と共に腹の大口が開き、残骸をすべて吸い込む。石も木も屍も灰となって彼の内に取り込まれる。街は内側へ崩れ落ち、隠れた生存者も喰らわれた。

饗宴を終えたアケロンは空の裂け目へと歩む。レナもその傍らに浮かび上がり、共に虚無の中へ消えていく。

空は砕け、炎が燃えた。二度と癒えぬ傷を覆い隠そうとする、無意味な焼き印のように。

文:Echo Seeker Kari